自分像が独り歩きするということ。

自分を見た人の数だげ私(自分)がいるというのが私の考えで、私がどんなに否定しても相手にとって私が″そう言う人″なら、 (勿論それは、時と場合によるが)既に否定しても意味がないのではないかと私は考える。

自分像には色々あって、情報の共有と、或いはこの人物はこうあるべきだと言う強い思い込みがその人の人物像を歪めることもある。
もっとも自分が考えている自分像が正しいとも限らないのであまりどちらが正しいとも言えない。

特殊な自分像については歴史上の人物がいる。
既に自分像の本人は死んでいるのに、勝手に肉付けされたその人の自分像を周りはその人として扱っている。
自分像の本人は死んでいなくても、多くの人に見られる事で過剰な肉付けをされ自分から離れる事もある。
生きながらにして自分像をはがされてしまうと、その人はまるで自分のドッペルゲンガーでも見ているような気分になるだろう。
多くの人に見られる事によって自分から自分像が抜け落ちるのだ。

だからメディアで語られる有名人だったり、キリストだったり、自分を断片的にしか知らない人達の間で話題になる人物だったりした場合自分でありながら自分ではない何とも言えない自分像を作られてしまう事がある。
見る対象が歪だから歪な自分像を作られてしまう。
自己アピールが下手とも言えるが、場合によれば自己アピールではどうにもならないこともある。

やはり自分像と言うのは自分が思う範囲でコントロールできるのが一番良い。
狭い範囲でも広い範囲でも不特定多数の人に知られてしまうと、自分像が自分から歪に離れてしまう格好の標的になる。

I have as many impressions as the number of people who have seen me
The impression you feel is yours
Even if the truth is different, the impression of a person may not be changed
Because people believe what they felt, denying them may be useless
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