リア充と言うのは限定空間なしで人間力を使える本物の事を言う。

世の中には三種類の人間がいる。

①限定空間無しで能力を使える人間。
②限定空間でしか能力が使えない人間。
③そもそも能力を何も持たない人間。

ハンターハンターで言えば①は旅団団長。
②は最後に能力を御披露目した際のヂートゥ。
③は念能力を持っていたは良いがグリードアイランドでは全く通用しなかったモタリケ。

人間関係で言えば①はリア充
②はキョロ充
③は非リア
転職で言えば1はどこでも通用する能力があるのだから転職は接客的に行うべきだろうが、何かを切っ掛けに転落するようなキョロ充は転職には慎重にならなくてはいけない。
③の非リアは生まれながらにして負けている。
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子供は頭では空想と現実の違いが分かっているが口が幼いので喋ってしまう。

空想と現実の違いを子供は分かってはいるが、空想の話を現実のように話してはいけない事については周りの指摘を経て理解する子供もいれば、そもそも分別がついている子供は空想と現実の話は始めから分けたりする。

空想と現実の違いを頭の中では分かっていても、口が幼いから混同して話してしまう子供はやがて空気を読み改める。
しかし大人の中には大人になってから、幼児がつく結果的な嘘のような幼稚な言動を身につける者がいて、頭が良かったり、魅力はあるが明らかに一部に幼児性があるような大人は、カバーできる部分があるので指摘され辛い。

或いは指摘すらされず眼中にない、指摘されても変えない可哀そうな人もいるがそのパターンは無視する。
文章が続かないのでここで終わる。

はじめに脅して交渉を全て飲み込ませようとするありがちな方法。

とにかく威圧して話を聞かせるようにして、口を挟ませないというのがそちら方面の人がよくするやり方で、何故そのような事をするのかというと兎に角初めに上下関係を示す事で自分の交渉を有利に進ませようとする一種のマインドコントロールだ。
はじめに怒ることで相手の非を認めさせ、以後全て自分が正しいように錯覚させる。

兎に角どちらが悪いという判断をないがしろにさせ全てを自分側のオセロの色に塗り替えようとするのだ。
私としては悪かった事は悪かったと反省したいのだが、こういう相手は自分がすべて正しいという極論にすりかえてくるので、あの時何が悪かったのか適切な判断が難しい。



(こういう相手は)威圧の後に「速くしろ」「ミスをするな」という注釈が入ることもあれば、或いは「甞めた口を聞くな」「ちゃんと聞いているのか?」。
願望に添えない言葉であれば「訳の分からない話はするな」「分かりやすく話せ」「自分の話を聞いていたのか?」。

兎に角初めに威圧して矛盾している事でも都合よく聞いてもらおうとするのが彼らのやり方で、だがしかし予めルールが決まっていることならいくらごねられようと曲げれない。
曲げれないルールがある場合は恐ろしいと同時に、分かり切った茶番には付き合いたくないという気持ちの方が強い。

ルールが曲げれないと分ると今度はいつもの男気を売るような糞演技に切り替え、こちらの感情を慮るような態度、或いは急に声色を変えるヤクザのような糞演技を仕掛けてくるのだが、どうせそれでもルールが曲げれない事が分かればまた罵倒して言うことを聞かせようとする姿勢に切り替えてくるんだろう。
思惑がバレバレで結果も分かり切っているのに付き合わなくてはいけないから糞演技なんだ。

自分の一時期の願望を通す為ならいくらでもその時の感情を偽り変えるような人間を私は信じない。
そういう相手はどうせ願望を通し終れば或いは願望が通らなければ、間髪入れずに面の皮も舌の数も変えまたその場限りの適当な事を言う。



本当は相手が少しこちらの提案に了承するなら対応ははやく終わる。
しかし速くしろと言いながら、受け入れられないワガママを言うからむしろはやく終わらない。

あの人達は割と頻繁に相手がどこまで曲げれるか判断出来ていないようなごね方をする。
でもあの人達はごね得ごね得でやっていかないと兎に角損をさせられる世界で生きているので分からなくもない。

時間の弁償を求める人間が嫌なのは、その分のデメリットをしつこく要求するから。

相手が敵対心やデメリットを提示するなら穏便にすませられない時がある。
だからそう言う時の為に武力は必要なのだが面倒臭い。

相手も相手でデメリットを提示している時はそれなりの大義を持ってぶつかってきている。
その時された嫌な思いは相手が何をしたって返ってはこないのだから、私や相手が最終的に思うのは相手の存在がなければ良かったという事だ。

それは国と国、人と人との関係でもまだ理性がたがを持っている間は話し合いになるが、理性が持たなければ最後は命のやりとりだ。
その命のやりとりに本当にデメリットを提示された場合の話が出てくる。
人間は時間を弁償出来ないならどうするべきだと相手に考えるのか、その命のやりとりに人間の本質がよく現れていると思う。

感情の当事者には必ず正当性がある。だから面倒くさい。

人間は自分の感情に正当性を持つ。
仮に後で否定してもその時は正しいと思っている。
私は正当性は尊重したい。

仮に相手の感情が私にとってデメリットがあって否定したり相手の言葉を遮ったりした方がメリットがあるなら、そうする。
そうでないなら(そうしても変わらないなら)本人の感情がさせたいようにさせるしかないし、そうしないと基本的に人間は治まらないだろう。
本人は正しいと思っている、それについて私は何も思わない。
ただその感情が私にとってデメリットがある時、それが面倒臭い。
基本的に人間は好きなようにすれば良いと思うが、そこに利害の不一致があるなら否定したりできるだけ上手く受け流したりしなくてはいけない。



本人は正しいと思っている。
私はそれを尊重する。
でもそれが私にとってデメリットがあるなら否定する。
否定しても変わらないなら極力受け流す。

どうせ自分は全て正しいと言うような顔をした人間も責任の所在を問えない人間には、何もできない。
たまたま言える人間に感情をぶつけているだけで、同じ感情を持っても言えない人間には言えない。
最終的に我慢できることも窓口があるから、当たり散らしている。
でも窓口がなかったら当たり散らさない。
どうでも良い所詮はその程度の感情だ。
あるいは最後は泣き寝入りするしかないが現実として過ぎ去る程度の感情だ。

正当性がある、だから尊重する。
しかしその感情をどうするかはデメリットとメリットの問題。
正しかろうと正しくなかろうと、結局人間はメリットとデメリットで生きている。
正しかったら何でも許されるわけではないから同じ感情を抱いても相手を見て態度を変えるんだろう。

同じ事をしても、罪悪感を抱くべき人間と、罪悪感を抱かなくても許される人間がいる。
私は罪悪感を抱くべき人間だから罪悪感を持つが、他の人間には罪悪感を持たせれない事を私は知っている。
これは私が私でいるためのポーズだ。
同じ事をしても比重が変わるなら正直罪悪感なんて持つ必要性はない。
どうせ相手によって態度を変える程度の感情でしょう。

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